2018年2月17日土曜日

フレデリック・ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22、ノクターン 嬰ハ短調 作品27-1(解説 梅谷初)


今回演奏する フレデリック・ショパンの
アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ、ノクターン op.27-1
ランダムに選んだのですが、
たまたま、ショパンの青年期、同時期に作られた作品です。

アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズは、
ポロネーズ部分が1831年にピアノと管弦楽のために、先に作曲され、
アンダンテスピアナート部分が、1834年に作曲されています。
現在、最も多く演奏される形のソロの楽譜は、1836年に出版されています。

1831年といえば、ショパンは21歳。
同じ年に、一番と二番のピアノ協奏曲も作曲されています。
こんな若い時期に、すでに大作をいくつも作曲していた天才性に今更ながら
気付かされます。

ノクターンは、ショパンの生涯を通じてのライフワークでした。
初期の作品は、アイルランドの作曲家、ジョン・フィールドの影響が
色濃いと言われていますが、
晩年に近づくにしたがって、独自の境地に到達していく様子が見られます。

今回演奏するノクターンは、op.27-11935年、ショパンが25歳の時の作品。
左手の分散和音が、第三音抜けた状態で始まるため、嬰ハ短調なのか、
ホ長調なのか、しばらくわからない状態で進み、それが異界の響きのような、
不思議な感覚を醸し出しています。中間部には短いマズルカ部分がありますが、これは、アンダンテスピアナートにも見られます。

1931年、ポーランドで11月蜂起があって、
この時期、望郷の念からこのマズルカを曲の中に挟んだ作品が
いくつかあると言われています。

ウイーンでのポーランド人の評判がこれにより、落ちてしまい、
演奏活動が難しくなったために、
翌年、ショパンはパリへ居を移すことにします。
この移動の途上、蜂起が失敗に終わったことを知ることになります。
愛国者だったショパンですが、こうして生涯ポーランドの地を再び
踏むことはなかったのです。


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